カエルはいるのか

カエルというのは例えである。人間の成熟段階をカエルの受精卵、オタマジャクシ、カエルなどと比喩しているのみである。僕の中でカエルは人間が成った状態であり、そこで成長は終わる。友人と話していた時に宗教の話となった。僕はその際、カエルはいないといった。イエスでさえ、ブッダでさえカエルにならず一生を終えたと思っている。僕の中で宗教は、少し成長したオタマジャクシが受精卵などに自身の考えなどを共有することで未熟なものたちを導き、受精卵同士でも考えを共有したりすることで何かかが生まれ、オタマジャクシはそこからも何かを得る。という成長形態の一種としか思っていない。カエルがいるように見えたならそれはまやかしでしかない。人間は何かに成った時点で終わる。だが、終わりは本来無いはずである。勝手にその人たちの中で終わりとしただけである。

人間は死ぬまでオタマジャクシである。