鎮魂という言葉の真意

友人が神戸の夜景の写真をSNSにあげていたのを見て、神戸ルミナリエを思い出した。神戸ルミナリエは鎮魂のために行われているという事実を知らない人もいるのではないか?神戸ルミナリエは鎮魂のイベントである。

では、鎮魂とは何か。鎮魂の意味を調べると以下のように出てくる。

ちん こん[0] 【鎮魂】

( 名 ) スル
死者の魂をなぐさめ,しずめること。
たましずめ(鎮魂)① 」に同じ。
[引用元 : 鎮魂]
死者の魂を慰めるとある。しかし、僕はそうは思わない。魂というものの考え方にも依るとは思われるが、魂というものは実態がなく、人々の認識の中に存在するという認識が正しいと個人的には考えている。すなわち、阪神淡路大震災にしろ、鎮めようとしているのは、死者の魂を認識している生者の魂なのではと感じた。その大きな理由が神戸ルミナリエの存在意義の議論しかり、昨年世間を騒がせた神戸の世界一のクリスマスツリープロジェクトから感じられた。
最初に戻ろう。神戸ルミナリエが鎮魂の意味を有していると知っているものはどれほどいるのだろうか。単なるデートスポットのような認識をしている人も多いのではないかとは思う。それは一向に悪いことだとは思わない。売り出す側の問題でもあるからだ。世界一のクリスマスツリー(以下ではツリープロジェクトと呼ぶ)も同様である。ツリープロジェクトも鎮魂の意味を込めていたらしい。鎮魂の意味が込められているイベントはそれだけではない。みなさんも自宅近くのイベントの由来などを調べてみるとそこそこの確率で鎮魂が目的であるイベントが存在することに気づくはずである。そうなった時に、僕は鎮魂と風化の関係について考えた。
東日本大震災にしろ、時間が経てば風化することはやむおえない。それを防ぐとかの話を今は問題にしているわけではない。では、僕が何を問題にしたいのか。僕が問題にしたいのは、鎮魂という大義名分を有していたはずのイベントの目的が風化していくということだ。それが何を意味するか。震災などの災害で失われた者の命はその時点で生者からの認識だけとなる。生者の中にはとても大きな傷を作ることもある。その傷の痛みを少しでも沈めるためにあるのか鎮魂に由来したイベントなのではないか。ということだ。震災などで最愛の人を失った苦しみは僕には計り知れないほどのものであろう。生者の魂の感じるそのような感情を沈めるために鎮魂というものはあるのではと、神戸の夜景の写真を見ながら考えていた。